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バルセロナ
日本語で聖書を読む会
Barcelona Japanese Bible Study Group
Carved a history of 30 years
さあ、湖の向こう岸に渡ろう
ルカ福音書 8 章 22 節
おかげ様で発足30年を超えました
この集会は 1991 年秋に、駐在員夫人お二人が発起人となって始まった集会です。プロテスタント、カトリック、洗礼を受けていない方、聖書を読んだことのない方、すべての方を歓迎しています。
なお当集会は、ものみの塔、モルモン教、統一教会などといった、いわゆる聖書の内容を異にする団体とは関係ありません。現在の主催者は、日本キリスト教会 横浜海岸教会(長老派)の出身者です。
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『わたし、わたしが主である。わたしのほかに救い主はない』尼川 匡志 伝道師 (2026年1月、月報252号)
神の存在を証明することはできませんが、神がいないことを証明するのもまた不可能です。しかし人間が造ることができない宇宙や自然界に慄然とある秩序を見ると、これらの秩序を定めた更に大きな知性の存在を実感します。つまり、突き詰めて考えると神が存在しないという理論よりも、神は存在すると考える方が理に適っているようです。ではその神が 「わたしが主である」 と言われるのは、どういう意味なのでしょうか。神とどのような関係を持つことが、「主である」 ということなのでしょうか。更に、「救い主」 とは何者なのでしょうか。いつも漠然と意識しているこのみ言葉を深く、しかもわかりやすく説き明かしてくださった尼川師のメッセージをぜひお聴きください。

バルセロナ日本語で聖書を読む会
7 日前読了時間: 1分


「東方の博士たち」三浦 栄樹 牧師(2025年12月、月報251号)
ユダヤの王、ヘロデのもとに東方からはるばる旅してきた占星術学者たちが尋ねた。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどこにおられますか」 おそらくバビロンの地(現在のイラン・イラク地方)から2000km近くの距離を時間とお金をかけ、危険を乗り越えて旅してきた彼らはしかし、ユダヤ人ではなかった。しかも今、拝もうとしている王は目の前にいるヘロデではない。なぜユダヤ人の王を拝もうと、これほどまでの危険をおかして訪ねて来ずにはいられなかったのか。学者たちが本当に求めていたものは何だったのか。三浦牧師のメッセージからぜひこの出来事についてのみ言葉に耳を傾けてみてください。

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2025年12月29日読了時間: 1分


「分けられなかった油」新井 純 牧師(2025年11月、月報250号)
マタイ福音書25章1-13節。キリストの再臨はいつ来るか誰にもわからない。その突然の再臨の時に眠っていた乙女たちの手元には油が不足していたので他の乙女たちに分けてくれるよう頼んだが、断られた。隣人愛が無いように思える話だが、おそらくこの再臨の日に足りない物とは、分け合うことのできない物なのではないだろうか。ではそれは何なのだろうか。

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2025年11月24日読了時間: 1分


「軽やかに走り抜こう」佐々木 良子 牧師(2025年10月21日、月報No.249)
ヘブライ人への手紙 12章1-13節 人生とは競争であり、これを忍耐強く走り抜こうというのがこの書簡の著者の勧めですが、この競争とは運動会や企業間競争のように、相手を抜いてトップを目指すというものではなく、ひとりひとりに定められた人生という長距離を神様が定めてくださったゴールに向けて走るというものです。しかし途中には様々な障害が発生します。ですからこれを完走するためにはコツがいるのです。そのコツについてお話くださった佐々木先生の心温まるメッセージを、どうぞお聞きください。

バルセロナ日本語で聖書を読む会
2025年10月22日読了時間: 1分


「二人は山を登った」舛田 基一牧師(2025年9月、月報247号)
創世記22章1-12節。神のご加護のもと、順風満帆だったアブラハムに神の言葉が下った。「愛するあなたの独り子を連れて山に登り、彼を焼き尽くす捧げ物としてささげなさい」 信じがたいこの神の言葉には何の説明もなかった。アブラハムは、しかし従った。高齢にしてようやく授かった愛する...

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2025年9月30日読了時間: 1分


『ウクライナ 戦争と平和』船越 真人 牧師 -オデッサ現地教会- (2025年8月、月報No. 246)
戦争に対し、3つの立場がある。平和主義、正戦論、聖戦主義。世界の大多数のクリスチャンたちは正戦論を支持しているが、それはなぜか。それはまず、3つの立場しかない中で、絶対聖戦主義も絶対平和主義も支持できないと考えているから。そして正戦論は更に3つの要素で構成されている。Jus...

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2025年8月26日読了時間: 1分


『信仰とは、確信し、確認すること』金子 進 宣教師(2025年7月、月報245号)
ヘブル書11章には、「信仰によって」起きたことが21回にわたって書き連ねられている。ここに信仰の大切さが力説されている訳だが、信仰とは望んでいる事柄を確信し、まだ見ていないことを確認することだとパウロは説明する。分かりにくい説明だが、宣教師ご自身の60年以上の信仰生活の中で...

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2025年7月18日読了時間: 1分


「別の扉が開かれて〜福音の力」 矢吹 博 牧師(2025年6月、月報244号)
使徒の働き16章 6-15節 時に。私たちは人生の歩みの中で 「ここに来るはずではなかった」 とか、岐路に立って 「この扉を行くことは神のみ旨なのか?」 と思うことがあります。そのような時に読み返したいのが今日のみ言葉です。私たちは岐路においてどう祈るべきなのでしょうか。ご...

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2025年6月28日読了時間: 1分


「あなたを産んだ人を楽しませよ」北島 嗣郎 伝道師(2025年5月、月報243号)
5月は母の日を祝う月です。この母の日の由来を知っていますか?私たちはなぜ母を喜ばせるべきなのでしょう?また、どのようにすれば母を喜ばせることができるでしょうか。忙しい毎日に流されてつい忘れてしまいがちな母の存在の大きさ、その母が愛する神様愛の深さを、今一度聖書を読みながら心...

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2025年5月15日読了時間: 1分


「闘う人を笑うな」新井 純 牧師(2025年4月、月報No.242)
聖書:ルカによる福音書 22章54-62節。最後の晩餐の席で主イエスに 「主よ、ご一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」 と言明したペテロはしかし、主が拘束され連行された時、弟子のうちでたった一人最後まで主についていって大祭司の中庭までもぐりこんだものの、...

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2025年4月25日読了時間: 1分


キリスト信仰の肝 「復活」 ~復活はどうして起こるか~ 尼川 匡志 伝道師(2025年3月、月報No.241)
ルカ福音書7章11-17節に、死んでしまったある青年を主イエスが生き返らせるという記事があります。聖書の中には他にも死者の復活を記した記事があり、主イエスご自身も復活されます。これはいったいどういう事なのでしょうか。いったい神様はどのようなメカニズムを用いて命を与えているの...

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2025年3月14日読了時間: 1分


「みことばはわが足のともしび」 矢吹 博 牧師(2025年2月、月報240号)
詩篇119編105-112節。この箇所にはすべての節に、「み言葉」を意味する単語が含まれています。105節の「あなたのみことばは、私の足のともしび」 にはじまり、「義の定め」「さばき」「みおしえ」「さとし」「戒め」。。すべてがみ言葉を指した言葉です。なぜ筆者は、彼らはそれほ...

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2025年2月26日読了時間: 1分


「神のなさることは私たちの想像を超えて素晴らしい」 北島 嗣郎 伝道師 (2025年 1月 月報No.239)
創世記45章1-5節。兄弟たちの罠にかかって奴隷として売られ、無実の罪で13年も投獄されるという大変な苦難の人生を歩んだ末にエジプトの総理大臣となり、大飢饉の際に家族がエジプトに食料を受けようとやって来た時に自分のことを明かしたというヨセフの人生の話は、神様のご計画の素晴ら...

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2025年1月26日読了時間: 1分


「同じ愛」舛田 基一 牧師(2024年12月、月報No.238)
ルカによる福音書15章25-32節 (放蕩息子とその兄の、その後のストーリー) 相続金の生前贈与を受けた後、放蕩に身をやつした弟が、死ぬよりは、と恥をしのんで実家に帰ってきた。その子の帰りを喜んだ父は盛大な歓迎会を催したが、それは父のもとで実直に働き続けながら地味な生活を送...

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2025年1月6日読了時間: 2分


「裸でそこに帰ろう」新井 純 牧師(2024年11月9日 月報NO.237)
ヨブ記1章1-22節 人生に起こる困難を因果応報と考える哲学もあるが、善人にも試練は訪れるし、望ましからぬ行為をしている人がこの世的に恵まれた生活をしているようなこともある。このような納得しがたい世の中において、神は一体何を見ておられるのか。神は一体、何を善しとされ...

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2024年11月22日読了時間: 1分


「宝を見る目」佐々木 良子 牧師(2024年 10月 月報 No.236)
コリント信徒への手紙 二 4章 7-18節。 パウロはこの書簡の中で 「わたしたちは、このような宝を土の器に納めています」 と言っています。土の器とは人間のこと。では 「このような宝」 とは何でしょうか。また、「わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています」 とは? ...

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2024年10月30日読了時間: 1分


「キリストを知っていることの素晴らしさ」北島嗣郎伝道師(2024年9月26日、月報235号)
ピリピ人への手紙3章7-8節。生粋のローマ市民として特権階級に生まれたパウロがキリスト宣教のために投獄され、拷問を受け、後に処刑された。その獄中から、喜びの手紙をピリピの人に送り、彼らを励ましている。なぜこのようなことができるのでしょう。パウロは 「キリストを知っていること...

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2024年9月29日読了時間: 1分


「人を赦す」北島嗣郎伝道師(2024年7月23日、月報 No.233)
マタイ福音書18:21-35 亡き永六輔さんはこのようなことを言いました。「生きているということは、人にものを借りるようなもの。生きていくということは、人にものを返していくようなもの」 今日のみ言葉は王に1万タラント(現代の6千億円)の借金を赦してもらいながら、自分が別の...

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2024年7月28日読了時間: 1分


「思い悩むな」尼川 匡志 伝道師(2024年6月18日、月報232号)
マタイ福音書 6:25-34. 人には心配事が絶えません。幼い時よりも、経験も知恵も豊かな大人になってからのほうがもっと心配事が増えます。私たちはなぜ心配するのでしょうか。心配とは何でしょうか。心配を取り除く方法はあるのでしょうか。マタイ福音書をもとに、尼川伝道師がとても分...

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2024年6月24日読了時間: 1分


「新しい律法」新井 純 牧師(2024年5月、月報231号)
使徒言行録 2:22-28 主イエスの処刑後、明日は我が身とおびえていた弟子たちのうち、処刑直前に恐怖心から3回も主を知らないと言ってしまったペテロが、「これを言ったらあなたも処刑でしょう」 という一言を言い放ったのが今日のテキストです。彼がこれを言えたのは、弟子たちが新し...

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2024年6月1日読了時間: 1分

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