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執筆者の写真バルセロナ日本語で聖書を読む会

月報No.201 (2021年11月)アドベントの過ごし方

更新日:2021年12月9日

ルカ福音書2章15-20節 北島 嗣郎 伝道師


イエス様がお生まれになる1500年くらい前から約1000年くらいかけて書かれた旧約聖書には、救い主の到来ついて繰り返し記されています。言い換えると、旧約聖書の時代は、アドベントの時代だったのです。ですから新約聖書に登場する、パリサイ人も、ヘロデ王も、大祭祀も旧約聖書でキリストの誕生のことを知っていました。でも彼らは、キリストを受け入れなかった。


今の時代もクリスマスが私たちの救い主イエス・キリストが生まれたことは世界中の人が知っています。まして今は、旧約聖書に加えて新約聖書も読める時代です。しかし、それでもキリストを受け入れていない人は、申し訳ありませんが、このパリサイ人、ヘロデ王、大祭司と同じなのです。


羊飼いたちはユダヤ人ではありませんが、私たちのために救い主がお生まれになったと知らされた時、この方は私たちを罪と死から解放してくださる方だということを悟りました。だから彼らは、仕事を置いてでも、羊を放ってでも礼拝に駆けつけたのです。彼らは、ユダヤ人ではありません。旧約聖書も関係ありません。だから最初の異邦人礼拝者なのです。そして私たちと同じなのです。ところがユダヤ人である、律法学者、大祭司たち、ヘロデ王も、旧約聖書でベツレヘムに救い主が生まれることは知っていました。でもこの王の王を賛美することはしませんでした。


二つ目に、アドベントの 過ごし方は、キリストを人にお伝えすることです。それにはなによりもまず、キリストを礼拝すること、そして、み言葉を中心としてキリストを伝える。これが素晴らしいアドベントの過ごし方です。


三つ目。それはキリストの受肉を驚き、またその意義を深く考えることです。


最初の人間であるアダムとエバが罪を犯して以来、私たちには、罪のDNAが入り、そして死が入りました。聖書が言う罪とは、私たちを創造された神様から離れるということです。人間は神の形に造られました。形というのは、影という意味があります。つまり影は、神様から離れられないのです。でもこの世で多くの方が、「神なんていない。」と言い、挙句の果てに「人間は、猿から進化したのだ」と言われます。


この私たち人間の赦されない罪のあがないのために、人間の贖いの死が必要となり、主イエス・キリストがこの世に来られ、裁判でいばらの冠をかぶせられ、十字架につけられて贖いの死を遂げられたのです。


皆さんは、聖書で最初にイバラが出てくる箇所を覚えていますか?最初の人間、アダムとエバが罪を冒してその血が呪われて生えてきたのがイバラです。その実のイバラの冠をかぶられたイエス・キリストは、私達人間が蒔いたタネを刈り取られたのです。私たちがイバラの冠をかぶるべきなのに、キリストがイバラの冠をかぶられたから、私たちはキリストがかぶっておられた栄光の冠を頂く、そういう栄光に預かるのです。


受肉のくすしさ、神が人間になる、仕えられるお方が仕えられる、死ぬべきでないお方が死ぬものになる。不思議に思いませんか?この恵みに驚かれませんか?これこそAmazing Graceなのです。私たちは普段はそこまで考えなくても、アドベントの時は、このキリストの受肉の素晴らしさに驚き、その真理を深く考える。これが素晴らしいアドベントの過ごし方です。


結論。アドベントの過ごし方は、3つです。1:まず、私たちの救い主キリストを礼拝する、2:私たちの救い主キリストを人にお伝えする、3:神であるキリストが人間の形をとってこの世に来られる、つまり、キリストの受肉を驚き、またその意義を深く考えることです。大切なことは、イエス・キリストをあなたの救い主として受けいれ、あなたの中にキリストを受け入れることなのです。




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